(公財)日本少年野球連盟(ボーイズリーグ) 奈良県支部所属


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南都ボーイズのOBの体験談です。



体験談

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体験談

◆OB・卒団生◆
  南都21期生 小野寺 暖
  (京都翔英高校 - 大阪商業大学 - 阪神タイガース)
僕は奈良リトル出身ということもあって、同期のみんなより遅く入団しました。
初めはみんな僕より大きく、小学校の野球とは全然レベルも違い、本当にレギュラーになれるのかなという心配をずっとしながらやっていました。

二年生の時に一桁の背番号をもらったのですが、その後もあまりレギュラーに定着できず、自分の代になっても、出たり出なかったりが続き、僕の実力はこんなもんなんだと思ったりもしました。
でもそんな時でも、不調で全然打てない僕を見て、毎回 「今日はこんな打ち方になっていたぞ。」と根気よく指導して下さるスタッフがいつもいてくれました。

南都のスタッフは、指導者と選手という関係だけではなく、自分の息子のように接して下さる方ばかりです。また、僕が全然打てない時でも、期待して使い続けて下さった西川監督がいたからこそ、諦めずに最後まで頑張り続けることができました!

高校は、中学より部員数も多く、すぐに諦めてしまいやすい環境にあるのですが、南都ボーイズで諦めずに最後まで頑張り続けることを教わることができたので、高校ではレギュラーをとり、副主将を務め、3年の最後の大会では、準々決勝の龍谷大平安戦で、相手のエース 高橋投手から、3ランホームランを打つことができました。
ちなみに、その試合後、僕は熱中症で救急車で運ばれたのですが、そんな中でも試合中、しっかりとパフォーマンスできたのは、南都時代に西川監督から
「人間は追い込まれた時に、本当の姿が出る!そういう時に期待にこたえられる選手になれ!」
と言われてきたことを、ずっと忘れずやってきたからだと思います。

高校時代は本当にしんどくて、何回も辞めたくなったり、逃げ出したくなった時もあったのですが、そんな時でも西川監督から、「調子どうや?」 とか、「暖! 新聞載ってたぞ!」 とか、こまめに連絡を下さって、いろんな方が見てくれているんだと思い直し、絶対活躍して見せようと思えました。

西川監督は、中学時代の僕がちょけている動画を送ってきたりすることもあったり、選手との壁が無い本当にいい監督だなと思いました。いろんな選手とも話しますが、西川監督みたいな監督は他にはいません。

今後は時間があればグランドに顔を出し、現役の南都の選手たちに、少しでもアドバイスできたらなと思っています!
僕は南都が大好きで、今でも心から誇りに思っているチームです。

    南都第24期生 杉浦有祐
(大谷高校?同志社大学)

今の自分があるのも、南都ボーイズで過ごした3年間があるからだと思います。
思い返すと、野球の高い技術はもちろんですが、「人としてあるべき姿」を教えて頂きました。礼儀礼節、道具を大切に扱う、親やスタッフなど周囲の方々に感謝するなど、「人間的成長無くして技術的な進歩はない」ということを学びました。将来、高校・大学・社会に出て活躍できる人間になるために西川監督はじめスタッフの方々に指導して頂きました。
しんどくて、厳しい練習もたくさんありました。何十本もポール間を走ったり、グランドを100週したり、夏の大会前には西川監督が100本ノックを選手全員に打って頂きました。普段の練習でも、しんどくて手を抜きたいときも多々ありました。しかし、しんどい時に自分に負けずに頑張れるか、自分を動かすのは自分の気持ちです。日頃からそのような指導のおかげで今でも忘れることなく心に残っています。
現在私は同志社大学の硬式野球部でプレーしています。160名を超える部員が所属し全国から実力者が集まる中、私は2年間ベンチに入ることさえできませんでした。その苦しい2年間を乗り越えられたのも南都で培った「自分に負けない心」があったからだと思います。結果3年生からレギュラーを掴み、4年生時には首位打者賞を獲得することができました。
本当に南都ボーイズに入って良かったと思います。
今でも中学時代のビデオを見返してしまうくらい、南都ボーイズが大好きです。お世話になった分、今続けている野球でいい報告ができるように、それが少しでも恩返しに繋がるように頑張っています。

    南都29期生 福村良夏
(履正社高校)

私が野球を始めたきっかけは、兄が野球をしていて親に連れられ行くうちに、観ているよりも「自分が野球をしたい」と思うようになり、小学2年の冬から始めました。 
中学では、硬式野球で自分を試してみたいという思いがあり、周りからは、「流石に女子で危ないのに硬式野球するの?」とも言われましたが、兄も所属していた南都ボーイズに迷わず、南都で野球がしたいと思いました。
ただ、今まで南都では、女子選手の受け入れが無かったのですが、監督、コーチから入団許可を頂き、また、代表からは、「色々大変な事はあるかもしれないが、出来る限り協力して、野球が出来る環境にしてあげる」とも言ってもらい、南都初の女子選手として迎えて頂きました。
入団当初から監督やコーチは、男女関係なく厳しくご指導下さり、同学年のチームメイトに負けないよう練習に励みました。
しかし、学年が上がるにつれ男子との体力差も出始め、小学校時代なら対等に競えたものが、中々追いつけず、追い越せなくなってきました。
そんな時、監督は、暖かいアドバイスを下さったり、自分で考えさせるため突き放したりと、飴と鞭を使い分けられご指導下さったこと、悩んでいる私を心配下さり、暖かく見守ってケアして下さったコーチ、本当にありがたく思っています。
そして、信頼できるチームメイトのみんながいてくれたおかげで、3年間女子1人でしたが楽しく頑張ってこれたと思っています。
そんな経験をしたからこそ、技術面だけでなく、精神面も強くなり、次のステップでも野球がしたいと、女子野球部のある高校に進学しました。
高校では、南都で学んだ事が本当に役に立ち、実践する事が出来ています。
そして、女子野球にも昨年から甲子園という道が開けました。
私は、必ず甲子園に出場できるよう頑張ります!
最後に、男女を問わず、中学で硬式野球と考えている皆さん後悔はしないと思います!
是非!南都ボーイズで野球をしてください。
私はいつまでも南都ボーイズを応援しています^_^

    南都第29期生 塚本 遵平
(立命館宇治高校)

 僕が南都ボーイズへの入団を決めたのは、「1番野球が上手くなるチーム」と感じたからです。チーム選びをするにあたり、シニアやボーイズなど複数のチームの体験会に参加しました。その中で、南都ボーイズは練習環境、チームの雰囲気、指導者の方々の熱意など、他のチームと比べて圧倒的に魅力を感じました。
入団すると想像していた以上にきつい練習でしたが、先輩方が優しくサポートしてくれたこともあり、なんとかついていくことが出来ました。ピリッとした指導の中にも優しさや楽しさがあり、厳しい環境だけど、練習に行くのが楽しみでした。
僕はキャプテンという役割を与えて頂き、チームを引っ張る意識やリーダーとしての自覚を叩き込んで貰いました。褒められた記憶は殆どなく、毎回のように厳しく指導を受け、落ち込むこともありましたが、課題を何度も繰り返し乗り越えていく中で精神的に強く成長することが出来たと思っており、今では本当に感謝しています。
そして自分たちの代になり、最初の大きな大会の関西秋季大会の奈良予選で優勝し、本戦にも出場しました。その後の春の全国大会奈良予選では悔しい準優勝という結果となり、さあここから巻き返しという時にコロナの影響で練習が出来ない日々が続き、殆どの大会が中止となりました。これまでの当たり前の日常が、当たり前に出来なくなりました。
西川監督には「野球が出来ることを当たり前に思うな」とよく言われました。僕たちが野球が出来るのは、保護者の協力や指導者の方々やスタッフの方々の支援などがあってのことであり、「好きな野球をやらして貰えてるのだから、プレーで気持ちで恩返しをしないと駄目だろう」と逃げずに全力でプレーすることの意味を教えて貰いました。
南都ボーイズでは野球の技術は勿論ですが、仲間の大切さやリーダーとしての心構え、感謝の気持ちを持つことなど、野球だけではなく、これからの人生で必要なことを教わったと思います。僕自身も南都ボーイズで教わったことを活かし、南都ボーイズのOBとして活躍できるように頑張っていきます。  
是非、皆さんも南都ボーイズで自分自身を成長させてください。